おもしろいざっき
「おもしろい」と付くものは大抵面白くない。
だから、このタイトルは間違っていないと言う事になる。
データ
ブログへの3月の総アクセス数 26
(ちなみに4月に入ってからの総アクセス数は 1)
気温 23.2度
湿度 60%
定点観測を続けよう。
その話なら猫に聞こう
頭の中が空っぽで、何も思い浮かばない時は、何をしよう。
その答えは人それぞれ色々あるが、私の場合は生まれてこの方、頭の中が空っぽで無かった事がほとんど無い。
常に何も無い状態で、たまに炭酸水の気泡のように、何か小さなものが少しだけ現れて、すぐに消える。
これは恐らく、構造的なもので、一生こんな感じなのだと思う。
今これを書いている瞬間も、この文章の内容が頭にある訳では無く、瞬間的に発生する言葉を、ただ単に打ち込んでいるに過ぎない。
この文字が何処からやって来るのか、どの様な理由でこの文章が書かれているのか、よく分からない。
今の瞬間も頭の中には何も無い。
アイディアが無限に沸いてくると言う人がいるが、そのような人とは正反対で、アイディアが永遠に生じない存在で有る気がしてならない。
ほぼランダムに言葉を羅列する事で物語のように感じられる何物かを作る事は出来るが、それは意図したものでは無く、炭酸水の泡粒に過ぎない。
面白い事を思いつく人間は、根本的に何かが違うのではないかと考えざるを得ない。
そんな事を考えているうちに、いっその事、猫にでも聞いた方が早いのではないかと思えてきた。
何故猫なのか、それは簡単で、猫は面白いと言う概念を、人間の外から客観的に観察する事が出来る。
人間が物理的存在であり、究極的には数式で全てを記述できるのならば、自分が面白いかどうかを自分で判断する事が出来ない可能性がある。
ただし、私が自分がどの様な数式で構成されているのかが分からないので、正確な判断は出来ない。
と言うことで、猫にでも聞いてみた方が良いのではないかと考えている。
ただし、ここには大きな問題があり、それは私の周りに猫がいないこと、そして、猫の言葉がわからない事だ。
恐らく人間のような高度な言語を利用してはいないだろうが、それでも明らかに思考能力はあり、そして高度なコミュニケーション能力を有している。
現状ではそれを正確に人間の言葉に翻訳する方法が存在していないが、猫にも明らかな知性が存在しており、それを言語化する事は可能なはずだ。
知性は情報を出力可能であり、情報とは規則性を持ったパターンで構成される。
あとはそれを人間の言葉、若しくは計算式にでも変換すればよい。
人間のような言語とは全く違った方法、例えば数式で物事を考えたり、和音や光の干渉を思考の基本言語として利用しているかもしれない。
しかし、どの様な方法であれ、単純に理屈の上で考えれば、必ず理解できる日が来るのは間違いない。
猫と話せる日が来たら、こう聞こう。
「私は面白いか」と。
いや、私が面白いかと言うよりは、私の書くこの文章は面白いか、こう書くべきだろう。
その場合、この文章を猫に理解出来るように翻訳する事も必要になり、そしてそれを何らかの方法で伝えなくてはならない。
文字で伝える事は難しいだろうから、音や匂いや光で伝える事になるはずだ。
その場合、恐らくその媒体は猫を模したモノになるはずだ。
猫型の本、と言う訳だ。
猫型の本を読ませる事によって、この文章を猫に伝える事ができれば、これが面白いかどうかが、寝子と言う、人間の外の系によって、いわば計算され、そして結果を得る事が可能になる。
猫が人間の系の外で面白いと判断すれば、それは私個人の勘では無く、論理的に面白いと言う事が、計算によって証明される瞬間でもある。
そのような、人間以外の系を外部に持つ事により、人間、そして猫も大いに発展飛躍する事が出来るはずだ。
今からその日が楽しみだ。
しかし目下の課題は、その時に向けて、私が何が面白いと思われそうな何かを作り出さねばならないと言う事だ。
ここまでで、今の所面白いといえる文章は一文字も書けていない。
とりあえず瞬間的に浮かんだ事を羅列しつつ、それらに即興で流れを付けてみたに過ぎない。
と言っても、書いている内容そのものに、それほど大きな問題は無いと思う。
もちろん、猫との会話が可能かどうかは現段階では完全に未知数ではあるが、それが可能である事は、お互いに知性を持ち合わせている時点で可能であると断言できる。
その方法については進歩を待たねばならないだろうが。
面白い事を書けるようになったほうが色々と都合が良いが、道のりは遠い
だから、このタイトルは間違っていないと言う事になる。
データ
ブログへの3月の総アクセス数 26
(ちなみに4月に入ってからの総アクセス数は 1)
気温 23.2度
湿度 60%
定点観測を続けよう。
その話なら猫に聞こう
頭の中が空っぽで、何も思い浮かばない時は、何をしよう。
その答えは人それぞれ色々あるが、私の場合は生まれてこの方、頭の中が空っぽで無かった事がほとんど無い。
常に何も無い状態で、たまに炭酸水の気泡のように、何か小さなものが少しだけ現れて、すぐに消える。
これは恐らく、構造的なもので、一生こんな感じなのだと思う。
今これを書いている瞬間も、この文章の内容が頭にある訳では無く、瞬間的に発生する言葉を、ただ単に打ち込んでいるに過ぎない。
この文字が何処からやって来るのか、どの様な理由でこの文章が書かれているのか、よく分からない。
今の瞬間も頭の中には何も無い。
アイディアが無限に沸いてくると言う人がいるが、そのような人とは正反対で、アイディアが永遠に生じない存在で有る気がしてならない。
ほぼランダムに言葉を羅列する事で物語のように感じられる何物かを作る事は出来るが、それは意図したものでは無く、炭酸水の泡粒に過ぎない。
面白い事を思いつく人間は、根本的に何かが違うのではないかと考えざるを得ない。
そんな事を考えているうちに、いっその事、猫にでも聞いた方が早いのではないかと思えてきた。
何故猫なのか、それは簡単で、猫は面白いと言う概念を、人間の外から客観的に観察する事が出来る。
人間が物理的存在であり、究極的には数式で全てを記述できるのならば、自分が面白いかどうかを自分で判断する事が出来ない可能性がある。
ただし、私が自分がどの様な数式で構成されているのかが分からないので、正確な判断は出来ない。
と言うことで、猫にでも聞いてみた方が良いのではないかと考えている。
ただし、ここには大きな問題があり、それは私の周りに猫がいないこと、そして、猫の言葉がわからない事だ。
恐らく人間のような高度な言語を利用してはいないだろうが、それでも明らかに思考能力はあり、そして高度なコミュニケーション能力を有している。
現状ではそれを正確に人間の言葉に翻訳する方法が存在していないが、猫にも明らかな知性が存在しており、それを言語化する事は可能なはずだ。
知性は情報を出力可能であり、情報とは規則性を持ったパターンで構成される。
あとはそれを人間の言葉、若しくは計算式にでも変換すればよい。
人間のような言語とは全く違った方法、例えば数式で物事を考えたり、和音や光の干渉を思考の基本言語として利用しているかもしれない。
しかし、どの様な方法であれ、単純に理屈の上で考えれば、必ず理解できる日が来るのは間違いない。
猫と話せる日が来たら、こう聞こう。
「私は面白いか」と。
いや、私が面白いかと言うよりは、私の書くこの文章は面白いか、こう書くべきだろう。
その場合、この文章を猫に理解出来るように翻訳する事も必要になり、そしてそれを何らかの方法で伝えなくてはならない。
文字で伝える事は難しいだろうから、音や匂いや光で伝える事になるはずだ。
その場合、恐らくその媒体は猫を模したモノになるはずだ。
猫型の本、と言う訳だ。
猫型の本を読ませる事によって、この文章を猫に伝える事ができれば、これが面白いかどうかが、寝子と言う、人間の外の系によって、いわば計算され、そして結果を得る事が可能になる。
猫が人間の系の外で面白いと判断すれば、それは私個人の勘では無く、論理的に面白いと言う事が、計算によって証明される瞬間でもある。
そのような、人間以外の系を外部に持つ事により、人間、そして猫も大いに発展飛躍する事が出来るはずだ。
今からその日が楽しみだ。
しかし目下の課題は、その時に向けて、私が何が面白いと思われそうな何かを作り出さねばならないと言う事だ。
ここまでで、今の所面白いといえる文章は一文字も書けていない。
とりあえず瞬間的に浮かんだ事を羅列しつつ、それらに即興で流れを付けてみたに過ぎない。
と言っても、書いている内容そのものに、それほど大きな問題は無いと思う。
もちろん、猫との会話が可能かどうかは現段階では完全に未知数ではあるが、それが可能である事は、お互いに知性を持ち合わせている時点で可能であると断言できる。
その方法については進歩を待たねばならないだろうが。
面白い事を書けるようになったほうが色々と都合が良いが、道のりは遠い