雑記を書く時間になりました | ゆうきの話

雑記を書く時間になりました

本格的に春になり、冬眠からすっかり目覚めた事になっているので、雑記を書く事にしよう。



日記

今日は風が強かった。

明日と明後日は天気が悪いと言う事なので、買い物は今日のうちに済ませておいた。

いつもと同じ食べ物を食べて、いつもと同じ時間に入浴をした。

そして今、こうして日記を描いている。



こんな日記など、書いているだけでつまらなくなってきたので、ここで書くのを終了しよう。

その代わり、今日起こらなかった事などを適当にピックアップしてみようと思う。



日記じゃない

今日は昨日よりも時間的に今の瞬間に近いと言う事実を先ほど知った。

それを教えてくれたのは、火星人の友人だ。

さらに彼の話によると、地球の時計は正確性に欠け、それはまるで火星ヘビ(火星にいるヘビのような生き物)がのたうつような感じで、地球の時計を見ているとクラクラして来ると言う。

そういえば、火星人の友人など居なかったのを今思い出した。

と言う事はこれを日記に書く事は出来ない。

日記はその日に起きた事を書く物だから、存在しない友人の事を書くのは「日記」ではなくて「日記じゃない」だ。

日記じゃないは日記じゃないから、今日出来事を書く必要が無いし、書かないほうがよい。

今日の出来事は日記にでも描こう。

と言う訳で、日記じゃないをもう少し書き足そう。

にゃんにゃんにゃん。

ごろごろにゃー。

にゃーんにゃん。

と、猫語で書いてみたが、人間は猫語を、猫は日本語を読めないので、誰の為でも無い文章になってしまった。

何だかそんな文章ばかり書いている気がしてならない。

これは日記じゃないから今日の事を詳しくは書かないが、今日はほとんどあらゆる事が起こらなかった。

そういう意味では、宇宙は今日も穏やかだ。

人間があまりにも高速に活動しているために、宇宙の歴史がほとんど止まって見えるのだろうから、もう少しゆっくりすれば、宇宙の秘密が一つくらい見えてくるかもしれない。

日記じゃないのでここら辺にしよう。





そういえば漫画

そういえば、最近はどんな漫画が流行っているのだろうか。

雑誌が全般的に売れなくなっていると言う話しで、漫画雑誌も例外では無いと聞く。

これは、不景気の影響なのか、それとも面白い漫画が無いからなのか。

ネットが原因だと言う声もあるが、ならば電子書籍版の漫画の売り上げが紙の漫画の売り上げを補完出来るほどに高くなければつじつまが合わない。

これは素直に、面白い漫画が出ていないのだと考えるのが自然だと思う。

娯楽が多様化して、漫画に頼らなくても十分に楽しい事が簡単に手に入ると言う事が大きな原因だと言われるが、つまりそれは、漫画がそれらの娯楽よりもつまらないと言う事を意味する。

つまり、面白くないのが最大の理由だ。

経済的な余裕が無くなっている、という話も聞くが、週に200円を娯楽に使えないほどに日本人が貧困になってしまったとは思えない。

かと言って、日本人の貯蓄残高が高まっていると言う話も聞かない。

つまり、その200円は漫画雑誌以外の何処かに流れている事を意味する。

その行き先を正確に調べるのは困難だが、おそらくは通信費やゲーム代ではないかと思う。

だとすれば、今時の漫画は友達とのおしゃべりやテレビゲームに面白さで負けていると言う事になる。

これだけ負けが続くと言う事は、単に面白い作品が少なくなったと言うだけでは無く、漫画と言う構造そのものにその原因がある可能性がある。

通信やゲームはユーザーがそれに能動的に関わる事ができる。

しかし漫画は描かれた物を読むだけで、読者は言わば蚊帳の外だ。

そういう意味では小説も同様である。

与えられた情報をだだ飲み込んで行くだけの作業よりも、自らより積極的に関わり、物語を動かして行く事により惹かれるのは当然とも言える。

元々小説や漫画は、それを読む事で物語の中に自分を侵入させ、そこで巻き起こる出来事を追体験する事が主目的の一つである。

ただしその際、ストーリーそのものは一字一句変える事は出来ない。

ゲームにもストーリーがあるものは多いが、細部に関しては自分の力で変える事が出来るものがほとんどだ。

関与出来ない物語の中で遊ぶより、多少なりとも関与できる物語の中で遊べるほうが面白いと言う事は、少し想像すれば分かる事だ。

それでも満足出来なくなると、いよいよ自分で物語りその物を作り出す、と言う事になる。

それもすでにあちらこちらで行われており、このブログもその一つと言える。

漫画は固定化された過去の歴史を読む事に等しく、ゲームなどは、制約はあるものの、歴史を作る事に参加できると言える。

それでも、とびきり面白い歴史ならば変えられなくとも読んでみたくもなるが、そんな名作を作り出すのは、なかなか難しい。

漫画が今後も読まれ続けるには、関与できていると言う実感を、読む人に与える必要がある。

ストーリーそのものを読者の人に決めさせると言う事でも良いかも知れないが、そこまでしなくても、この漫画に関与している、と言う感覚を持ってもらう事は可能だ。

例えば、漫画を描く過程を動画などで見せたり、ストーリーがどうやって出来るかを、可能な限り見せればよい。

作品の神秘性が失われると言う考えもあるかも知れないが、読者がいなくなってしまえば、作品そのものが失われてしまう。

そして、漫画のライバルは、ユーザーにより積極的な関与を許す事で伸びている。

多少なりとも作品との関わりを深めてもらう事によって、ゲームなどに少しでも近づく以外に、生き残る方法は無い。


もう少し先の話になるかも知れないが、いずれは漫画の中のキャラクターを、読む人一人一人が選択可能になると良いと思う。

幾つかのキャラクターを用意しておき、それをボタン一つで切り替えたり、全くのオリジナルキャラクターを読者が導入する事が出来るようになるとより良い。

これはゲームのキャラクターと同じだ。

それでは作品が崩壊してしまうと言う考えもあると思うが、そもそもキャラクターを変えなくても良く、オリジナルのまま読むのが好きな人にはそのまま読んでもらえば良いのであり、変更できる事はあくまで選択肢の一つに過ぎず、読者が漫画と言う世界により関与できる方法の一つを提供しているに過ぎない。

もちろん全部の漫画がそうならなくてはならない訳ではないが、固まった歴史を読むだけで満足する人間は、これから先増えるとは思えないので、より多くの読者を獲得したいのならば、読者の関与の余地を増やすことは不可欠になる。

最終的には、大雑把なストーリーの骨格や、特徴的な絵などを幾つか用意し、読者がそれを使って漫画と言う形に組み立てながら読み進める事になる。

まるで物語を漫画のパーツを使ってパズルのように作り上げる事を「漫画を読む」と言い表すようになる。

そして、いずれは映像やゲームと融合して、今の漫画と言う形はそれらの中のパーツの一つに過ぎない存在になる。


とは言っても、今はまだそこまで話が進んでいないので、もっと原始的に読者の人と関わって行く事から始める事になると思う。


結局コミュ力か・・・




・・・・・

だから私はこう言う文章を書くのが好きではない。

上の文章は、あまりにもありきたりで、一片の面白さもない。

書いている時は、それが読んだ時に面白いかと言うことまでは考えないので、書いてしまった後でその文章のつまらなさに愕然とする。

上の文章は描いていること全てが、誰にでも思いつく当たり前の事ばかりであり、そんなわかりきった事を長々と書いている暇があったら、フリーセルでもしていたほうがまだマシだ。

とは言っても、未来の知性への情報としては、ありかもしれない。

必要か不要かは未来の知性の決める事で、今の私はデータを出力する事に専念すればよい。



理屈で考えると何でもかんでもつまらなくなる。

そして何より、面白がられなくなる。




古来より伝わる固定化された歴史を記述する方法であるところの「漫画」をこのブログに描いて載せるのも面白そうだ。

今の所、このような文章やイラスト等を幾つも掲載して来たが、それらが生身の人間によって読まれた形跡はほとんど無い。

恐らくこのまま漫画を掲載した所で、結果は同じであると予想される。

しかし、無駄とわかりきっている事だとしても、そういう無駄をやらずにはいられなくなる事も、たまによくある。


忘れていた。

その前に、絵を上達させないと。

話しはそれからだ。



絵で思い出したが、2012年の絵をまとめてみると言う事もやっても良いかもしれない。

やる事は多い。