隣の客はよく雑記を書く客だ | ゆうきの話

隣の客はよく雑記を書く客だ

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2013/05/05~2013/05/11のブログ総閲覧回数 8




雑記を描こう。

そう言えば、ここ数日雑記を書いていなかった。

雑記と言っても、具体的に書くものが決まっている訳では無いので、書かなくてはならないと言うものでもない。

今の所、この雑記は主に未来の知性に向けたものであり、私が生きている間ならば、いつ書いても未来の知性にとって、情報としてはそれほど違いが無いので、多少の期間書かない日があってもそれほど問題ではない。

一つ問題があるとすれば、それは私が忘れてしまう事であり、忘れそうな事から優先的に書くのが最も合理的でありそして必要されれている。

つまり、今の所緊急に書かなくてはならない事、つまり重要ではあるけれど忘却してしまう懸念のある事、が特に発生していない事が雑記を毎日書かない最大の理由だ。

一生のうちに書ければそれで良いと言うものについては、今急いで書く必要が無い場合も多いが、しかしこれにも問題がある。

人間の寿命は今の所有限だと言われており、恐らくは平均的な遺伝子を受け継いであるであろう通常の人間である所の私においても、恐らくは有限の寿命を有している物と思われる。

そしてまた、人類の英知、数々の宇宙論は宇宙がいずれ終焉を迎える事を示している。

宇宙の終焉について考えるまでも無く、太陽がいずれ燃え尽きる事は確実であるとされており、これに関して異論を唱える人はほとんど居ないと思われる。

つまり、私個人がたとえ不老不死の存在だとしても、地球や宇宙に終わりが来るのであれば、その中で存在するであろう未来の知性に向けた文章も必然的にその終焉を迎えるより以前に書かなくてはならない事になる。

その様な機会は、忘却してしまう可能性が高いが書くべきもの、が見当たらない今のような機会に書く事が適切であると考えられる。

とは言え、今の所、このブログやその他の場所で書いてきた文章が、どれ一つとして、誰一人にとって、何ら有益であった事が無い事は容易に想像がつく。

そのような物が果たしてどの程度未来の知性にとって有益であるかは完全に未知数だが、現在の私の能力ではこれ以上の事は書けないし、ならばそれらを書かざるを得ないのだから仕方が無い。


そもそも有益とは何かについて考える必要がある。

この文章が何の有益な情報も含んでいない事が確かだとしても、そこには考えるべき点がいつくかある。

まず、誰にとって有益なのか、そしてあらゆる人間にとって何の益も無い事を証明する事は理屈の上からは不可能である、と言う点だ。

例えばこのブログが誰にとっても一切何の利益ももたらさない、と言う事を証明する事は不可能だ。

それを証明するには宇宙に存在する全知性体にこのブログを見せ、その結果全ての存在に何の益をも与えない事を示さなくてはならない。

ましてや、これが未来の話ともなると、少なくともこのブログのデータが人類のあらゆるデータベース上から消え去る瞬間までを考慮しなくてはなら無くなるので、これは完全に予測不能だ。

つまり今書いているものが何の益ももたらさない事を証明する事が不可能である以上、書く事による益が存在する可能性を考えて書く事は何ら間違えでは無いと考えられる。

そして、有益の概念は果たして普遍のものか、という問題も同時に存在する。

このブログを未来の知性に向けて書いているのは、未来の知性にとってこのブログの情報が有益であると私が分かっているからでは無く、今の所、有益な点は全く無いとしても、未来の世界では何らかの益が生じているのではないかと言う推測に基づいて書いている。

21世紀の人間にとってはゴミのような文章でも、1億年後の知性にとっては貴重で有益な情報となりうる可能性は大いにある。

そして、次に考えるべき点は、そもそも有益である必要があるのか、と言う点だ。

これは有益とは何かと言う問いにも関連するが、そもそも有益である必要があるのか、有益でなくてはならないのか、という事を考える必要がある。

有益であるほど良いのであれば、貨幣経済下において最も有益な物は最も高価なものであり、貧乏人よりも金持ちの方が社会にとって価値が高く有益であると言う事を意味する。

貨幣経済を否定する気も無く、高価なものにはそれなりの益がある事も多いが、では有益である物のみが存在することをよしとされ、それ以外の存在は無益で無価値で存在意義が無いと言う事になるのか。

そう考えると、トップ以外は全て無価値と言う事になり、世界には一人の人間、一つのものが存在するだけで良いと言う事になる。

有益かどうかのみを追求するとほとんどすべての存在が無価値になってしまう。

だから自分のすること全てが何らかの益を生み出さなくてはならないと言う価値観そのものが自分自身を苦しめていると考える事ができる。

有益でなくたっていいじゃないか、そう考える以外に今の所選択肢は無い。



ただし、可及的速やかに直接的な利益を得る必要がある場合はその限りでは無く、その際に於いては最大限有益である事を追求する必要がある。




今の所、私自身には何ら有益な点が無い事は明らかであり、有益な何かを提供する能力が無い事も容易に推測できる。

その為に長期計画を立てそれらの提供が可能になる程度に能力を向上させる必要性がある。





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