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絵を描こう


そういえば、今月のテーマを決めていなかったような気がする。

まあいいか。


宇宙の旅のガイドブックのようなものを描く為の能力を色々と考えると、人間が描ける事は必要だが、それ以外に様々な物体が描ける事が必要だ。

見たものを見たままに模写する事ですら十分な能力が無い為に困難であるのに、見た事が無い物を描く事はなおさら困難だ。

見た事の無いものの方が描きやすい場合もあるが、私の考える物は大抵の場合、とてもシンプルになる。

宇宙に進出するほどの文明を有している知的生命体が、それほど非効率な形状を放置しておくとは思えない。

宇宙船にしても、太陽系の外まで楽々飛べる宇宙船を作れるほどの科学技術があるならば、その表面がツギハギだらけだったり、ネジが見えていたり、配管がむき出しだったりする事は、私にとっては想像しにくい事だ。

すると結局最終的には何の特徴も無い球体や立方体など、単なる3次元図形のようなものを描かざるを得ない。

しかしそれでは宇宙船っぽくは見えない。

十分に発達した科学は魔法と区別が付かないと言う言葉があるが、言い換えるなら、十分に発達した物は信じられないほどシンプルになる、と言う事でもある。

宇宙について描く場合、科学技術の発展を冷静に考えて反映させると、全てがひどく安っぽく、おもちゃのように見えてしまう。

しかし21世紀現在、科学的な装置に高級感や本物っぽさを生み出している源は、その複雑さにある。

巨大な核融合発電の実験プラントは複雑怪奇に入り組んだ配管や配線の塊だ。

宇宙ステーションにしても、様々なモジュールが結合して出来ており、非常に複雑な構造になっている。

その様な複雑さこそが、本物っぽさを生み出しているように私には感じられる。

国際宇宙ステーションが、ただの真っ白な球体だったとしたら、それを見て宇宙ステーションだと認識できるだろうか。

21世紀の宇宙の旅を描くならばそれっぽく描く事は容易だが、銀河の向こうまで行く事が出来るほどの文明を人類が有する段階になった時、21世紀の人間が見てそれっぽく見えるもの描くのは非常に難しい。


宇宙船が超光速で移動する場合、人間の反射神経は用をなさないので、その宇宙船は基本的に完全に自動化されるはずだ。

計器類も1枚のスクリーン上にとりあえず表示していると言った感じであり、その数値がどうなろうとも、人間に出来る事はほとんど無い。

人間はただ、目的地を指示して発進の合図をするだけだ。

途中でトラブルが発生したとしても、超光速で移動している場合、人間が手動でそれを解消するのはほぼ不可能だ。

例えば、宇宙船の前に突然障害物が現れた場合、それを手動で回避する事は出来ない。

光より早く移動している場合、障害物を目視した時点で、その物体と衝突しているはずだからだ。

厳密に言えば障害物との衝突を見る前に障害物にぶつかってるはずだから見ることすら不可能で、ぶつかった後に何かあったと気が付くことが出来る。

これは亜空間などの概念を持ち出せばある程度緩和可能だが、それでも、人間の神経が外部から刺激を受けて、それに反応して脳から筋肉に指令を出してそれが筋肉に到達するのに0.1秒は必要だとされており、オリンピックでもそれを基準にフライング判定をしていると言う話だ。

つまり、宇宙を非常に高速で移動するとき、人間が関与できる事はほとんど無い。

星への着陸時に手動で操作する事は可能だろうが、それとて完全に自動化できるはずで、わざわざ人間が危険を冒してまでするような事でも無い。

銀河の外にまで旅をしようとする場合、宇宙空間を移動している間はひどく退屈であり、描くべき事はあまり無い。

描くとすれば、移動していると言う行為についてでは無く、宇宙船内部での人間の振る舞いについて描く事くらいしか出来ない。

そして、宇宙船の内部は、極限まで人間にあわせた造りになっており、地球に居る場合とほとんど何の変わりも無い生活が出来るようになっているはずだ。

それがどのように実現されるかは、色々な方法が考えられるが、脳に直接情報を送り込む方式や、3次元の立体映像を利用して快適な生活を送れるようにする方式、実際に必要なものを全て宇宙船内部に作る事ができるほどの巨大な宇宙船を作る、など、色々と考えられる。

その場合、地球上での生活との違いを描く事は難しくなる。

21世紀の科学技術では、狭い船内にすし詰めになって何ヶ月もじっと我慢しても火星辺りに行くの精々だが、銀河の外まで出るなんて、そんな船では不可能だ。

銀河鉄道の夜などは非常に上手く、鉄道を宇宙に走らせる事で本来ひどくつまらなくなってしまうはずの宇宙の旅を、今の人間にも興味深く分かりやすいものに変換している。


ただ、高度に発達し文明による宇宙空間の長距離移動に関して、それに搭乗する人間の精神面に配慮すると言う名目で、擬似的に列車の旅や船の旅を、宇宙船内で再現していると言う設定にすれば、どの様な移動手段を描くことも可能ではある。

たとえば、21世紀の宇宙船を内部で再現して、それに乗って移動している感覚を搭乗員に感じさせる事も出来る。

そしてその様子を描く事で、21世紀の人間が見ても理解しやすい宇宙の旅にする事も出来る。

本当に高度な宇宙船の表に配管がむき出しになっている事は考えにくいが、雰囲気を出す為に立体映像などで装飾の一部として発生させていると言う設定も可能ではある。


ただ、一つ重大な問題がある。

それは、それを絵だけで説明することが非常に困難だと言う事だ。

可能な限り、文字の説明無しに、誰が見てもそれが何であるかが理解できる事が望ましいと考えているが、この設定を絵のみで説明するのは大変だ。

漫画にしても、映画にしても、説明的なカットを多用しなくてはならなくなる。

そうなるとますます画力が必要になってくる。

それが簡単に描けるようになるのは、一体いつになるか見当も付かないが、必要な事である点は確かだ。


これらの問題に対する究極の答が一つある。

それは、「理屈を捨てる」事だ。

有無を言わせず「こう言うものだ」と言い切ってしまい、理屈を抜きに描き切ってしまう事だ。

結局のところ、ありもしないものを描くわけだから、それでいいのかもしれない。

見る人が納得するかどうかは別問題だが。





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