恋と愛と結婚について | ゆうきの話

恋と愛と結婚について


恋は欲望であり、愛は贈与であり、結婚は契約である。


恋とは欲望である。

第一目的は相手から何かを「得る」事である。

得られるものが無くなるか、与える事に疲れた時に終わる。


愛とは引力である。

宇宙の根源的な法則であり、それは物理法則の中にも見られる。

電磁気力においては互いの粒子が光子を贈与しあう事により引力を生じている。

重力は重力子の贈与によりその引力が発生していると考えられている。

ここで重要なのは、各粒子は他の粒子から光子や重力子を得る事を目的とはしていない点だ。

贈与とは見返りを求めず、一方的に与える行為であり、これが愛である。

その無償の行為である贈与が、結果として引力を生じ、互いが引き合うことになる。


結婚とは契約である。

何を与え何を得るのかを決める事で、争い事を無くす為の知恵である。



互いが恋をしている状態がもっとも熱量が多い。

少しでも多くのモノを相手から得たいという状態であり、最終的には、より強い者・有利な者がより多くのモノを相手から奪い取り、終わる。



一方が愛し、一方が恋している状態は最も辛い結末が待っている。

「愛する者」が「恋する者」へ一方的に贈与を続ける事になり、早晩与えるものが無くなる。

そして得られるものが無くなった「恋する者」は得らたモノを両手に抱えて去っていく。

「愛する者」は全てを与え、そして何も残らない。



互いに愛している状態、これが最も安定しており、宇宙が目指している姿である。

互いに無償の贈与をする事で、互いに常に贈与を受け続ける状態となり、与えるものが枯渇する事もなく、互いの贈与による引力により、関係は安定する。



贈与と結婚について

結婚とは、上記の「互いが恋をしている状態」や「一方が愛し、一方が恋をしている状態」におけるトラブルを避ける為に生み出された契約行為である。

互いから奪い合って疲弊する事や、一方的に全てを奪い取る事を、法律によって規制しようという行為であり、決して「愛の行為」ではない。

本当に互いを愛しているのならば、結婚などという「契約」など必要ない事は明白だ。

親子は親子である為の「契約」などは交わさない。

結婚が契約である以上、契約を結ぶ意味とその目的についてはっきりと理解しておく必要がある。

その上で契約を交わすのか交わさないのかは個人の自由だ。


結婚とは、贈与可能なものが有限である事によって生じるトラブルを避ける為に考え出された契約行為である



太陽はほとんど無限に、そして無償である「贈与」を人類に与え続けている。

しかし、太陽を愛し、太陽に贈与する者は誰もいない。

いずれ太陽も全てを放出し、小さな星となって、贈与があまり出来なくなる。

それでも太陽はその中の物質を少しずつ分解しながら光の粒として贈与をつづけ、遠い遠い未来には消滅してしまう。


もし、人を愛し続けたいのなら、自分が愛されているかどうかを確認した方がよい。

さもなくば、太陽のように一方的に贈与を続け、いずれ愛も消えうせてしまうだろうから。




今日はこどもの日、この世界に生まれた全ての子供の誕生に祝福と感謝を捧げたい


生まれてきてくれてありがとう